東寺とは

今回は、「京の冬の旅」東寺五重塔の内部特別公開に行ってきました。
東寺は、正式名称を「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」といいます。
794年(延暦13年)に桓武天皇は、平安京に都を遷し、都の入り口羅城門の東西にそれぞれ官寺(かんじ)として「東寺」、「西寺(さいじ)」を置きました。
官寺とは国が管轄する寺院のことです。
平安京遷都の際に桓武天皇は、官寺以外の新たな寺院の建設を認めませんでした。
その理由は、仏教勢力が政治介入するのを防ぐためと言われています。
ちなみに西寺は現在残っておらず、跡地は公園となっています。

東寺は796年に一旦完成しますが、すべての建物や設備が完成したというわけではありませんでした。
その後、823年に唐から真言密教を学んできた「空海」が嵯峨天皇から東寺を託され、本格的にお寺が整備されました。
そして官寺であると同時に真言密教の根本道場となり、栄えていったようです。
五重塔内部(初層)特別公開


826年に造営を始めた五重塔が完成したのは57年後の883年。空海は完成を見ずにこの世を去りました。
五重塔は長い歴史の中で、何度も落雷や火災に見舞われました。現在の五重塔は5代目となり、1644年に3代将軍徳川家光によって再建されたものです。高さは55mで木造の塔としては日本一の高さとなります。

内部には講堂と同じく密教の世界が立体的に表現されており、
心柱を根本仏である「大日如来」に見立て、周囲に「四尊の如来」、「八尊の菩薩」が安置されています。

周囲の壁には「真言八祖像」があり、空海をはじめ真言宗の高僧たちが8人描かれています。
(撮影禁止でしたので下記でご確認ください。)

なんと、東寺の五重塔は地震で倒壊したことはありません。
心柱を中心に全体が揺れを吸収する耐震構造になっており、その理論は東京スカイツリーにも応用されているそうです。
東寺の見どころ
講堂(こうどう)

983年、空海はお寺の中心に講堂を建設し、堂内に密教の教えが視覚的に体感できるよう「立体曼荼羅」を設置しました。
それまで平面だった曼荼羅を立体化させるという考えは、インパクトがあり素晴らしいアイディアですね。
金堂(こんどう)

東寺で最初に建設されたのが「金堂」です。建立から600年以上残っていましたが、室町時代の1486年に焼失。
いまの建物は、関ヶ原の合戦後に再建されました。内部には本尊である「薬師如来像」と、脇侍には「日光菩薩」「月光菩薩」が安置されています。
現在の像は、桃山時代を代表する仏師「康正(こうしょう)」によって作られたものです。
薬師如来像は2.88mですが、台座と光背(こうはい)を合わせると10mにもなり、その迫力に圧倒されます。
御影堂(みえどう)〈大師堂〉

弘法大師空海が住んでいた場所です。御影堂では毎朝6時に、安置されている弘法大師の木造に食事が供えられる「生身供(しょうじんく)」が行われています。
なぜなら弘法大師は生き続けていると考えられているからです。
作家の司馬遼太郎さんも京都を訪れたときは、平安京最後の遺構であるこの場所を出発点にしていたそうです。
食堂(じきどう)

「しょくどう」ではなく「じきどう」です。僧侶が食事をした場所ということで「食堂」です。
室町幕府初代将軍「足利尊氏」も居住していたそうです。
食堂の本尊は十一面観音菩薩で四国八十八ヶ所巡礼や洛陽三十三所観音霊場の札所にもなっています。
御朱印もこちらでいただけます。
まとめ
京都は度重なる戦や火災により、平安京創建当時の建物はほとんど残っていません。
東寺は平安京唯一の遺構と言われており、その価値が認められ世界遺産に登録されています。
特に五重塔は京都のシンボルとして、これからも残り続けてほしいものですね。
毎月21日には「弘法市」も行われているので、暖かくなったらまた訪れたいと思います。


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