正伝永源院とは


今回は、「京の冬の旅」建仁寺 正伝永源院(しょうでんえいげんいん)特別公開に行ってきました。
正伝永源院は、団栗通の北側にある建仁寺の塔頭寺院で、無涯仁浩(むがいにんこう)という建仁寺の39世が創建した「永源庵(えいげんあん)」が始まりです。
永源庵は、南北朝時代の大名である細川家の庇護(ひご)を受け、その関係は明治時代まで続きました。(現在も子孫である細川護熙元首相の襖絵が寄贈されています。)

その後、1873年に廃寺となり、祇園にあった「正伝院」というお寺がこの地に移転してきました。
その時に「永源」の名前を受け継いで「正伝永源院」となったのです。
本堂には「永源庵」と「正伝院」の2つの扁額が掲げられています。
織田有楽斎(おだうらくさい)とは

正伝永源院は織田有楽斎(おだうらくさい)の菩提寺で、今年が没後400年の節目に当たることから特別公開となりました。
織田有楽斎は、本名を「織田長益(おだながます)」と言います。
有名な「織田信長」の異母弟で、年齢は信長の13歳下です。
父である織田信秀の次男が「信長」、十一男が「長益」という関係です。
安土桃山時代~江戸時代初期の大名であり、茶人でもありました。
信長の死後、千利休に師事し茶人となり有楽斎という号を使ったようです。



正伝永源院の見どころ
茶室「如庵」(復元)
江戸時代になって有楽斎は、正伝永源院を再建し、茶室「如庵(じょあん)」を設けました。
日本には国宝の茶室が3つあり、そのうちの1つが「如庵」です。
現在、本物の「如庵」は、愛知県犬山市に移築されており、正伝永源院にある「如庵」は、忠実に復元された写しとなります。茶室の中は窓が多いので実際より広く感じました。障子から優しい光が差し込んで、とても落ち着く空間です。床の間には狩野山楽による織田有楽斎のの掛け軸がかけられていました。




その他の国宝茶室は、大山崎にある妙喜庵(みょうきあん)の「待庵(たいあん)」、大徳寺龍光院(りょうこういん)の「密庵(みったん)」です。
襖絵「蓮鷺図」
京狩野の祖と言われる狩野山楽(かのうさんらく)が描いた襖絵「蓮鷺図(れんろず)」は、順番に見ていくと蓮の一生(つぼみから散るまで)が部屋全体に描かれており、
優しいタッチが癒しの空間を演出しています。
撮影禁止でしたので下記でご確認ください。

武野紹鴎の供養塔

武野紹鴎(たけのじょうおう)は、千利休の師としても知られています。この塔はもともと大阪の堺にあったものを江戸初期に有楽斎が正伝永源院に移したと伝わっていますが、
明治初期の土地没収に伴い大阪の都島区に移設されました。
2021年春、100年ぶりに正伝永源院に戻ってきたそうです。
まとめ
正伝永源院もそうですが、京都ではお寺のお堂や茶室が移築されたという話が結構あったりします。どうやって移築するのか不思議でしたが、日本の建築物は木でできているため、分解して再建することができるという話を聞いたことがあります。日本の技術はすごいですね。
今年の京都検定の1級公開テーマが「京の茶室」となったので、今後も茶室関連はしっかりと勉強していきたいと思います。


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